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のんべんだらりん。

ただ僕は語りたい。自分の正体がわかるならそれでいい。

お年玉の使い道と貯金と情熱

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"お年玉"

今日は年始に貰うお金のことを話そうと思う。

お子さんがいる方に聴いてほしい。

 もらったお年玉は直ぐ使った?それとも貯金?

僕は貯金させられた。

小学生だった頃、「貯金しときなさい」と親に一言。言いつけを守る性格だったので当時はそれに従った。

 

中学生になり、お小遣いの金額が上がった。中学二年生の頃には友人たちと釣りにハマった。釣り具は勿論、遠出をしたり、買い食いしたり、お金を使う機会は増えたがお小遣いで事足りた。だが、いつも周りの友人達は皆「お金欲しー」と口にしていた。友人達みんなもお小遣いはもらってる。友人の多くは高い釣り竿を2本、3本と購入したり、ルアーやワームや仕掛けをどんどん購入していた。それを見ながら「お金が欲しいと思うのは当然じゃん」と当時は思ってたし、今でも思う。僕はお小遣いの範囲内でお金を使っていた。たまに親から臨時収入が入ったが、大きい金額では無かった。

それでも良かった。「ルアーの違いなんて分からないだろ」「釣り竿の違いなんて分からないだろ」「一体どこの受け売りなのかな?」「こいつ適当な事言ってるだけじゃないか?」と当時は思ってた。釣果に多少の差はあっても、なんとも思わなかった。高い買い物は出来ないけど、お小遣いで満たされていたのだと思う。

祖父母と一緒に買い物に行けば、好きなものを買って貰えた。そういうところもあるのかもしれない。

 

高校生になった。お小遣いの金額が上がった。世界が広がった。観測範囲が広がった。高校2年生になった。高校2年生の正月を過ごした。何故か手元にお年玉があった。

 

高校2年生の冬から高校で受験指導に熱が入りだした。勉強をはじめた。高校3年生になる直前の春休み。やはりまだまだ勉強のやり方がわからない。教師に助けを求めた。だが疑問があった。納得がいかなかったのだと思う。それでも教師は必死に僕にアドバイスをしてくれたと思う。だけど僕には教師が焦ってるように見えた。教師の焦りが伝播したのか、僕も焦った。

気がついたらお年玉から抜いた10000円札を握りしめて本屋に向かっていた。

「まずい。埒があかない・・・・」

教師の教えは「授業が大事」というアドバイスだった。でも当時の僕のような一部の学生は反抗した。

そして僕は本屋に並ぶ参考書を手に取り感動した。

「全然わからねぇ・・・・・・・・・・・・」

購入した。

 

その参考書を使って勉強した。でも全然わからない。またお金を握りしめて別の参考書を買って勉強した。でも分からない。今度は別の参考書で勉強。

まだだ・・・まだ・・・と繰り返していくうちに成績が上がった。校内じゃレベルは並だけどそれでも嬉しい。また新しく参考書を買った。今度は自分の知識を最適化を目指した。秋から冬にかけて成績はもっと伸びた。

結果、第一志望校に合格した。僕は今、そこにいる。

 

お金と情熱

目標に向けて努力が出来たのはお金があったからだと思う。特にお年玉のおかげだったと思う。

大学に合格するというのは、様々な援助があって成功するものだと思うしそうであって欲しい。それでも自分の持っている目に見えるなにかを使用して新しいなにかに触れる経験が、好奇心と向上心に変わり、熱に変わって情熱と呼ばれるものになると思う。特に自分が持っている”なにか”を使うという経験が一番大事なことではないだろうか。

若い頃の彼には何もない。ただ興味は色々な方面に向かった。そこにお金を使った。新しい経験とともに知らない事も増えた。さらに投資をした。学ぶことも増えたし気苦労も増えた。それでも熱に変換出来た。熱いものに変わった。気がついたらここに立ってたというものでありたいし、そうありたかった。

 

僕の周りの友人達の話をもう一度振り返る。当時から僕は彼らのお金の使い方に疑問があった。

「何故散財するのか?」

だけど、自分のやりたいことに投資をした彼らの姿を今振り返ると、輝いていたし眩しかった。彼らなりに頭を使って購入し必死で使い方を覚え、新しい竿やリールを嬉しそうに振り回していたからだと思う。

対して僕はどうだっただろう。決められたお小遣いの範囲で楽しむために安い竿とリールを買って振り回してただけだった。値段が安いだけで大事に扱う意識やモノの取り扱い方を覚えようともしなかった。もちろん愛着なんて毛頭なかった。

 

昨日、中学時代の友人に釣りをしに行くとのことで何故か僕も海へ連行された。未だに仲の良いそいつ。そいつはまだ釣りが大好きなようだった。対して僕は楽しくなかった。そしてそいつが、

「お前wwww相変わらずやねwwwwwもう飽きたんかwwwww」と。

釣り場が寒すぎた&薄着だったというのもあるが、やる気無い僕の態度に「相変わらず」と口にした。相当胸が痛んだ。いつもならそこで脳をフル回転させて、斜め上のギャグをぶちかましていたが、言い訳しようと必死なことに気が付いて、聞こえないフリをした。

 

今度は僕の話。高校3年生になる直前の春休みに参考書をお年玉で買った。親からは「勉強道具とか教材にはお金出してあげるよ」と言われたが僕は頑なに拒んだ。理由は"自分で対価を払いたい"という意識がどこかにあっただけ。お年玉を使ってどんどん参考書を買いこんだ。自分で購入した参考書は合計で7万程度かな。無駄な参考書も買ったし、無駄な参考書に時間も割いた。それでも自分が買った参考書にこだわった。信じたかった。そのうち、学校の授業はほとんど聞かなくなった。対価、つまり授業料を自分で支払った感覚がないからだろう。それよりも自分が選んで手にした参考書の方に圧倒的なこだわりがあったし大好きだった。自分の選択した道を進んでる自分のことも大好きだった。その結果、目指した大学に合格することが出来た。

 

"お年玉が自分のモノ"というところに疑問がある人はいると思う。確かに僕が稼いだお金じゃないし、"僕のモノだ!!!"と数年前なら断言出来なかった。だけど子どもだよ?知識もない・経験も無い・技術も能力も、自分が何者ですらわからない。そんな彼に与えられたモノを奪うの?お金があるだけで大きく学べたよ俺は。成長できたよ。

 

何が言いたいかというと、”小・中学生に与えるお年玉を銀行に貯金するのだけは止めてくれ”ということだ。例は上で挙げた。僕みたいに貧しい思考になって欲しくない。

 

ただ、子供の性格とか色々なこと考慮しなければならない。僕は"親父の目線"が怖かった。両親は「欲しいものがあったら言え。買っちゃる」と言っていたような覚えがある。でも僕は親に対して常に疑いをかけていた。それは性格的なものだから仕方ない。「こんなこと言ったら怒られるのではないか」「これはやったらだめなのではないか」という思いばかりしていた。そんな思いを抱きながら両親に「これが欲しい」なんて口にできるワケが無かった。そして祖父母に逃げた。

だけどそこでも両親の教えが邪魔をした。いつもどこかで自制していた。親の目が怖かったのだろう。親の教えが邪魔して、祖父母に何かを買って貰うときはいつも胸がチクチクした。疑いたくはないが、当時本当に欲しかったものを買って貰ったか定かではない。子どもは親のことを相当意識してる。特にふるまいから思考することが多かった。ある意味"美徳"とも言えるし"文化"とも言い換えることが出来るかもしれない。

 

話が少しそれた。お子さんがいるなら聴いてほしい。「ほしいものは何?」って。

 

お金で買えそうなものだったら是非買ってあげて欲しいな。出せる金額なら出してあげて欲しい。何よりお金で彼らの経験や学びがを買うことができることを知ってて欲しいな。

 

 守銭奴かもしれない。お金じゃどうにもならない事を学ぶ必要も確かにあるとは思う。でもそれは所詮"願い"でしかない気がしてきたんだ。そんな綺麗ごとにこだわらず、子どもの自由意志で歩かせてあげて欲しい。モノ社会だからモノに依存した情熱になるのは仕方ないかな。でも他人からでも自分からでも輝いて見える情熱であることに違いは無いね。

僕は最近「買い物」が下手な気がしてきたんだ。心から欲しいはずなのに買う勇気が無い。でもその原因はきっとこの辺りにあると思う。

心を動かすきっかけは"何"になるのかわからないね。

 

では。